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私がFP(ファイナンシャルプランナー)になった理由

2023-03-01から1ヶ月間の記事一覧

{11}第2章 いっちゃん(3.しっかりした子)

私は親にとって決して扱い易い子供ではありませんでした。 おもちゃ屋の前では、おもちゃを買って貰えるまでしゃがみ込んで動こうとせず、母が引きずってその場を離れるという光景は日常茶飯事でした。また、保育所では注射が怖くて敷地内から逃げ出し、保育…

{10}第2章 いっちゃん(2.鍵っ子・後)

年上の友達とは本当に有難いもので、銭湯に連れて行って貰ううちに、七、八歳頃には一人でお風呂に入れるようになっていて、買ってもらったお風呂セットを持って一人で銭湯に行っていました。 私は母の意向でショートヘアでしたが、自分で髪を整えることを条…

{9}第2章 いっちゃん(2.鍵っ子・前)

何時の頃からか、私は鍵を与えられ、いわゆる『鍵っ子』になっていました。 小学校の授業が終わり、前田のおばあちゃん宅、児童館、校庭、友達の家と日に寄っていろいろな場所で過ごした後、母の帰宅まで一人留守番をしていました。 時には、母を迎えに職場…

{8}第2章 いっちゃん(1.ご近所)

私は三年間保育所で、その後一年間を幼稚園で過ごしました。 朝、母の漕ぐ自転車に乗せられて保育所に行き、迎えは同じ保育所に通うタカちゃんのおばさんが自分の家へ私を一緒に連れ帰ってくれて、母が迎えに来るまでそこで過ごしていました。 タカちゃんは…

{7}コーヒーブレイク(第1章 弟)

今年は弟の五十回忌です。 先日、お墓参りに行ってきました。 季節はずれの暖かい日、 霊園に向かう電車を待つ間、 何気に歌を口ずさんでいました。 でもなぜか歌のタイトルが思い出せない。 大好きで何度も聴いているのに・・・ え~とぉ ウィッシュ? (今…

{6}第1章 弟 (4.お別れ・後)

霊柩車の助手席に弟の位牌をしっかり胸に抱えて座る当時の私を思うと、本当に可哀想でした。 どこへ向かっているのかわからない火葬場への道のりを永遠に感じながら、子供だった私はじっと耐えていました。 火葬場に着いて霊柩車を降りた私に運転手さんは『…

{5}第1章 弟 (4.お別れ・前)

夜の十一時頃だったと思います。銭湯から帰ると電話が鳴っていました。間違い電話だろうと母と話しているうちに電話は切れました。実は、この時の電話が弟の容体の急変を知らせるものだとは母も私も考えもしませんでした。 次の日の夕方、父が私に弟が死んだ…

{4}第1章 弟 (3.自宅では)

たまにですが、弟を自宅に連れて帰ることができた時もありました。私はもう嬉しくて嬉しくて、テレビを見たり、絵本を読んだり、色紙を折ったりといろんなことをして一緒に遊びました。 特に弟は歌が大好きで、『ア、ア~』と私の下手くそなピアノと歌に合わ…

{3}第1章 弟 (2.施設での日々)

「す・・み・・ま・・せ・・ん・・・。弟の話になると・・いつも泣いてしまって・・・。」 泣きじゃくる私に梅木先生はそっとティッシュを差し出してくれた。 そのとき私は(心ゆくまで泣いていいんですよ。)と言われた気がした。 ------------------------…

{2}第1章 弟 (1.対面)

子供ころの私の日曜日と言えば、弟が入院している重度障害児施設へ母と行くことでした。 午前中に家を出て、商店街の洋菓子屋で大好きなお菓子を買って貰い、電車で行っては夕方家に帰るという、毎週、同じことの繰り返しでした。 弟についての最初の記憶は…

{1}プロローグ

最寄り駅から徒歩10分ほどの住宅地に紹介されたカウンセラーの診療所があった。外観からすぐにはそれとはわからない一戸建ての大きな家で、私は不安を覚えながらも思い切ってチャイムを鳴らした。「お電話で本日○○時に予約をした高野です。」 案内されて恐…