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私がFP(ファイナンシャルプランナー)になった理由

{8}第2章 いっちゃん(1.ご近所)

 私は三年間保育所で、その後一年間を幼稚園で過ごしました。

 朝、母の漕ぐ自転車に乗せられて保育所に行き、迎えは同じ保育所に通うタカちゃんのおばさんが自分の家へ私を一緒に連れ帰ってくれて、母が迎えに来るまでそこで過ごしていました。
 タカちゃんは男の子で家は商店街にある魚屋さんでした。タカちゃんのおばさんはとても小柄で陽気で優しく、店で忙しく働いていましたので、私はタカちゃんとタカちゃんの従姉妹たちと奥の居間で遊んで過ごしていました。


 ご近所の合田さんの家にもたくさんの思い出があります。タカちゃんの家に居ない時は合田さんの家で過ごしていました。
 合田さんは五人家族で、おじさん、おばさん、私より一つ上のユミちゃん、同じ歳のヤッちゃんと弟のサトルちゃんです。

 ユミちゃんとは大の仲良しでいろんなことを教えてくれました。男の子のヤッちゃんとも良く遊んでいました。隣にある材木屋の軽トラックの荷台ではしゃぎ、鬼ごっこ、チャンバラごっこと・・・。男の子たち数人と走り回っていました。

 近所に同じくらいの年頃の子供が多かったため、年上、年下、男女に関係なく私にはたくさんの友達がいて、遊びもバラエティに富んでいました。


 ヤッちゃんのおばさんは大柄で優しく、編物がとても上手でした。

 母に頼まれたとは言え、私は赤いスカートを編んでもらえることがすごく嬉しくて、出来上がるまでずっと飽きずにおばさんの毛糸を編む手先を眺めていたものです。

 私にとって合田家は居心地の良い安心できる場所でした。


 幼稚園に入園してからは、タカちゃんとも遊ばなくなり、小学生になってしばらくすると、合田さん一家も引っ越してしまいました。


 幼稚園から小学校低学年くらいまでは、幼稚園の道路を挟んで隣にある前田のおばあちゃん宅にお世話になっていました。
 おばあちゃんは大工である父の親方の未亡人であり、仲人でした。

 当時の私にとって幼稚園から帰った後、おばあちゃんに十円を貰い、駄菓子屋でお菓子を買うことが何よりの楽しみでした。

 また、おばあちゃんは内職をしていて、興味津々の私はお手伝いをさせて貰っていました。
 おばあちゃんには離れに住む、男の孫が二人いました。弟のモリオちゃんは私より一つ年上で仲良く遊んだ記憶より、喧嘩して意地悪されたことの方が多かったように思います。

 厳しくて優しかった前田のおばあちゃんは、私が小学校の高学年になった頃に亡くなりました。