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私がFP(ファイナンシャルプランナー)になった理由

{6}第1章 弟 (4.お別れ・後)

霊柩車の助手席に弟の位牌をしっかり胸に抱えて座る当時の私を思うと、
本当に可哀想でした。

どこへ向かっているのかわからない火葬場への道のりを永遠に感じながら、子供だった私はじっと耐えていました。

火葬場に着いて霊柩車を降りた私に運転手さんは
『しばらくここにいなさい』と言って去って行きました。
周りに何もない知らない場所に一人置き去りにされた私は、心細いのと恐怖のためパニック寸前でした。

それからどれだけ時が経ったのか、祖母の姿を見つけると『おばあちゃん・・・』と言って縋りついて泣きました。

その時が、施設で弟の遺体を見てから、ずっと葬儀でも泣けなかった私がようやく悲しみを表現できた瞬間だったのです。

お骨拾いの時間が来ました。

子供の私は標本で見るような骸骨が出てくると思って緊張していました。

ですが実際には何も無かったのです・・・。

骨らしきものが残っていなかったのです・・・。

 戸惑っている私達に係のおじさんが
『悪い部分の骨は焼かれるとあとが残らないから、この子は弱い子だったんだね。少しでも拾えるものは拾って上げなさい。』
と言ったことが、今も忘れられないです。

夜、葬儀も終わり皆が帰った後、小さな骨壺と位牌を前に、母に火葬場での事を聞かれた私はこのおじさんの話をしました。

それを聞いてまた泣き始める母。

弟が死んでからずっと泣き続ける母を慰める知り合いのおばさんが、私に
『いっちゃんがこれからはお母さんを支えてあげるのよ。』
と言いました。

(ああ、このおばさんの何気ない一言が、これからの私をずっと縛りつけることになろうとは・・・)この時考えもしませんでした。

今思い出してみても、私は9歳でありながら大人にこんなことを言わせるほど、本当にしっかりした子供だったのです。
そして、疲れのためか熱っぽかった私は、その言葉に素直に頷いたのでした。

それは、春まだ寒い3月上旬のことでした。

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ここまで話し終えたことに、私は満足感でいっぱいだった。

(8年2カ月の余りにも短く、幸薄かった弟の生涯をいつか誰かに知ってもらいたい。話を聞いて貰いたい)という願いが、ようやく叶ったためだった。