{11}第2章 いっちゃん(3.しっかりした子)
私は親にとって決して扱い易い子供ではありませんでした。
おもちゃ屋の前では、おもちゃを買って貰えるまでしゃがみ込んで動こうとせず、母が引きずってその場を離れるという光景は日常茶飯事でした。
また、保育所では注射が怖くて敷地内から逃げ出し、保育士さんを困らせただけでなく、ある時トイレが我慢できず、先に入っている友達に『一緒にしよう』と言って和式便器に二人でまたがり、前にいた友達のパンツを後ろにいた私のオシッコで濡らしてしまい、家に持ち帰って洗わなければならないこともありました。
思い通りにならないとよく癇癪も起こしていたし、小学生になってもオネショが治らず、正直なところ四年生ぐらいまで不安でした。電車の遮断機も怖くて『カンカンカン・・・』と音が鳴った瞬間に渡れなくなるといった有様でした。
そんな私が変わっていったのは、やはり弟の存在が大きかったと思います。
四月生まれの私は、他の子に比べて体も大きく、何をするにも呑み込みが早く有利でした。それと同時に、誰にも自分の恥ずかしいところを絶対に知られたくないという思いもあって、気が付けば口が達者で、気が強く、好き嫌いの激しい、負けず嫌いの子供になっていました。
最初は、小遣い欲しさにしていた手伝いも、母が帰宅するまでにお米を研ぎ、洗濯物を畳むといったことが、いつの間にか習慣になっていました。
弟が死んでからは、毎週日曜日は部屋の掃除、年末には大掃除を一人で数日かけてする。夏休みには玄関の三和土からアパートの共用スペースまで箒で掃き打ち水までしていました。そんな訳ですから、大家さんをはじめ近所では『しっかりしたいい子』と言われていました。
学校でも、弁が立ち積極的な行動力を発揮していましたから、先生受けは良かったです。しかし、同級生からは、私はいわゆる優等生タイプであり、特に男子には『男女』と呼ばれて怖がられていました。
こうして、強くて人前では決して泣かない”いっちゃん”が出来上がりました。