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私がFP(ファイナンシャルプランナー)になった理由

{12}第2章 いっちゃん(4-1.期待)

 母は世間体を気にする人でした。

 俗に言う”見栄っ張り”です。

 他人から詮索されるのが嫌ということもあったと思いますが、私は他人から兄弟について訊かれたら『自分は一人っ子だ』と答えるように言い聞かされて育ちました。
そして、弟のことは(何も恥ずかしいことではないのに)と、とても悲しい思いをずっと抱き続けて来ました。


母は弟の分も私に期待していたと思います。

そのため、6歳からピアノを習わされました。
ある日、家にエレクトーンが現れたかと思いきや、ピアノに突然替わり、個人レッスンに通うことになりました。友達のユカリちゃんのピアノの稽古を見学させられ、『いっちゃんも習わないか』と、絶対に嫌だとは言えない状況で始めたピアノでした。
 ピアノはそれなりに楽しかったけれど大好きではありませんでした。特に、発表会は嫌で嫌でたまらなかったです。母は普段の練習については無関心なくせに、発表会には積極的で、洋服を誂えてくれたり、親戚を招待したりと熱心でした。
 私はというと、見た目が実年齢より大きいからと、実力以上に難しい曲を弾かなければならないこと、母の期待から失敗できないと考えれば考えるほどプレッシャーは相当なものでした。

結果は毎回、間違えて完璧に弾けた記憶がありません。

母に至っては、こんな私が情けないのと、悔しいのとで、しばらく不機嫌だったことを覚えています。

 参観日も大嫌いでした。新調した洋服を着てお洒落ができるのが嬉しかったのか、母は必ず仕事を休んで来てくれました。

 同級生がそれぞれの親を気にする中、私は意識的に気付かない振りをしていました。授業ではいつも積極的に発言していた私ですから、参観日でも普段と変わりなく正解を答えていました。それでも母は、『答え方が理屈っぽい』と不満を言ったものです。

また、テストについても習った事が問題になっているのだから、『百点を取るのは当たり前』と真顔で言い、百点以外の答案用紙は見てくれなくなっていました。そんな訳ですから、いつしか私は通知表だけ見せていれば良く、テストについては結果も含め、何も言わないで済みました。私はしっかりした優等生ではありましたが、成績は平均よりちょっとできる程度でした。

 そんな私が、某有名私立女子中学入学を目指して受験勉強をすることになったのです。