{10}第2章 いっちゃん(2.鍵っ子・後)
年上の友達とは本当に有難いもので、銭湯に連れて行って貰ううちに、七、八歳頃には一人でお風呂に入れるようになっていて、買ってもらったお風呂セットを持って一人で銭湯に行っていました。
私は母の意向でショートヘアでしたが、自分で髪を整えることを条件に伸ばすことを許されたこともあり、三つ編みもほどなくできるようになっていました。
今思うとそれらは、共働きの親を当てに出来ない私が、”頼れるのは自分だけ”だということであり、身をもって学んでいたのです。
そして、忘れ物や急な雨に傘がないのは”自己責任”であることも・・・。
ただ、食事と洗濯だけは親に任せるほか仕方がありませんでした。
私は母から、
『一人の時は決して火を使わないこと』
『誰が来ても絶対に鍵を開けないこと』
『知らない人にはどんな理由でも着いて行かないこと』
を常日頃から厳しく言われていました。
そのため、給食のない土曜日はお金を貰ってパンを買うか、大正庵という近所の食堂で好物のカレーうどんを食べていました。
こうして私は個食にも慣れていきました。
母は私の食事には余り関心がなく、私が朝食を食べないと思っていたようで、高校卒業まで朝食抜きの生活でしたし、小学校高学年で進学塾に通っていた時の夕食は、私が好きだからという理由で、決まって喫茶店のピザとクリームソーダでした。
また、病気で学校を休んだ日はお金を置いて行き、
『大正庵に出前を頼みなさい』と言われました。
夕飯もほぼ出来合いもののお惣菜か、お金を出して他人に作って貰ったものを家族で食べていました。
ですから私にはこれと言った、”おふくろの味”がありません。
こうやって思い出して考えてみると、給食で生き長らえていた気がします。
そして何より、母の行動は時代の最先端を行っていましたね。
と、私は皮肉を込めて言ったのだった。