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私がFP(ファイナンシャルプランナー)になった理由

{28}第4章 転機 (2.同情)

 思いがけず早々に、母が入院できたことに私は心から感謝しました。

 入院してすぐに持続点滴がされ、その後一週間ほどで退院できました。


 母の入院中には、親戚が見舞いにきてくれましたが、

父は『仕事もせず、病院にいることが恥ずかしい』と言って、

見舞い客に会おうとはしませんでした。


 こんな時でも、世間体を気にする父の態度に私はうんざりしたのでした。


 医師の勧めもあって、私は生まれて初めて血液検査を受けました。

 理由は、私も念のためコレステロールを調べておいた方が良いというものでした。


 結果は、母の体質を私も受け継いでいるということでした。


 よく母が『血は水よりも濃い』と言っては、

私を絶望的な気持ちにさせていましたが、今回の検査結果は皮肉にも、

私に母娘の血の繋がりの濃さを実感させたのでした。


 母には症状が軽かったといっても、以前のような美しい文字が書けないという、後遺症が残りました。
 医師からは、この程度ならリハビリをすれば元通りになると言われたのですが、私達が想像する以上に、母にはショックが大きかったようです。


 母という人は、生まれてすぐに実母を亡くし継母に育てられたということ。

 弟を実家近くの診療所で出産したため、その後に起こった事態にすぐ対応できなかったことで、手遅れになったと言って、ずっと恨んでいました


 また、弟を忘れられないこともあって、事あるごとに私に対して、

『トミちゃんが生きていたら、あんたよりずっと賢かったはずや』

と言っていました。

 

『私とトミちゃんが逆だったら良かったのにね』

と、私が堪らずにそう答えると、

 

『あんたみたいに、僻みっぽい子はいない』

とも、よく言っていました。


 母は三十三歳の時に弟を亡くしました。


 二十歳になっていた私は、

(若かった彼女が、母親として障がいのある子を八年間世話した後、亡くしたことで燃え尽きてしまったのだ)と、理解するようになっていました。


 そして、(母は自分の不幸の中で、悲劇のヒロインを演じている可哀想な人なのだ)と同情するようになっていたのです。