{27}第4章 転機 (1-2.挫折)
専門学校は、私に新たな友人との出会い、様々な資格試験の合格を目指しチャレンジする日々を与えてくれました。
私は学費や通学費、小遣いの足しにと歯科医院でアルバイトも始めていました。
ただ残念なことに、母が私のアルバイト代を当てにして給料日に催促するようになり、勉強との両立が難しくなったことも重なって、半年で辞めてしまいました。
そして、突然それは起こりました。
私が成人式を迎える年の元日のことでした。
朝、雑煮の準備をする母の様子が明らかにおかしいことに、私はすぐに気づきました。言葉は呂律が回っておらず、歩き方も変、右手で包丁を使うこともままならない様子でした。
『お母さん、どないしたん。どっか具合でも悪いんちゃう』
『どこ・・も、お・か・しく・・ない』と言う母、
『ちゃんと喋れてへんやん』
予期せぬ事に頭が回らなかった私は、頑なに大丈夫という母を連れて、すぐに掛かり付けの医院に行きました。診断は『薬を飲んで安静にしているように』と言われたのですが、安心できない私は近くの大学病院に電話したのでした。
『四日に病院が開くから、それから来てください』と言われた私は、病院が開くことを待つことにしたのでした。
(この時なぜ、すぐに救急車を呼ばなかったのか)
と、私は今でも後悔しています。
大学病院での診断は【脳梗塞】
医学に興味のある私はこの病名を知りませんでした。
(脳溢血とどう違うの)と正直思いました。
医者の話を要約すると、『この年での発症は珍しい。また、幸い母の年齢が若いこともあり、そう重いものではない』ということで、入院のためのベッドが空くまで自宅で安静にしているようにと言われて帰宅したのでした。
母は元々コレステロールが高く、長年、薬を処方して貰ってはいましたが、なにぶん、自分に甘い性格のため、きちんと飲んでいないうえ、食事にも無頓着でした。
まさに自業自得とはこのことです。
私はこの年末年始に、近所のそば屋でアルバイトをしていました。
父が正月休みで家にいてくれることもあり、母のことを安じながらもアルバイトを続けていました。
アルバイト先には事情を話してありましたが、暗い表情で客を待つ私の姿が、視察に来た社長の目に留まり、後から注意を受けました。
『誰にでも、心配事はあるのだから、それを顔に出してはいけない』
と年配の女性従業員から言われました。
私は、(誰もがみんな、脳梗塞の親を心配しているのか)と、
余りにも思いやりのない言葉に憤りを覚えたのでした。
また、男性の店長は、
『お父ちゃんは仲良くする時以外は何もしてくれへんのか』
と、下卑たことを言って、皆から笑いを取っていました。
本当に最低の人たちでした。
しかし、この出来事は私にアルバイトといえども、お金を貰って働くことの厳しさを垣間見させてくれたのでした。
翌日、母の入院が決まったこともあって、私はアルバイトを辞めました。