{26}第4章 転機 (1-1.挫折)
2回目のカウンセリングは、最初のカウンセリングから約一カ月後だった。
前回と同じ位置に座った私に、梅木先生は
「あれから何か変ったことがありましたか?」と質問した。
私は「体重が3キロほど減りました。」と答え、
カウンセリングが始まった。
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「私は子供の頃、母から【芸は身を助ける】という言葉をよく聞かされてきました。
大工である父を見て育っていることもあり、資格や技術に関心が高かったです。
また、いつの頃からか医学に興味を持ち、得意科目の生物が大好きという理由で、高校卒業後は医療関係の学校へ行って資格を取りたいと思っていました。
看護師を目指していましたが生物以外の成績は余り振るわず、特に英語は絶望的でした。
私と同じように、看護師になることを目指している友達から、短期の集中講座の受講を誘われても、家の経済状況では望むべくもなく、自己流で勉強していました。
十校近く看護学校を受験しましたが、結果は全敗でした。
高校受験が割と楽だったため、当時の私は看護学校の受験を舐めていたと言わざるを得ませんでした。
親を全く当てにしなくなっていた私は、当然進路についても親に相談することはありませんでした。自分で受験の手続きを行い、受験費用も工面していたぐらいです。
小さい頃から、貯金箱に小遣いを貯めても、母に勝手に遣われていた教訓から、お年玉や小遣いは、自分で近くの信用金庫に預け管理していました。
ちりも積もればで、五十万円ほど貯まっていました。
当時、私は奨学金とは成績優秀者が貰えるものであって、自分には無縁のものだと考えていましたから、進学のために頑張って貯金していたのです。
また、浪人することもできないと考えていましたから、今の自分の学力と財力で入れる学校はないかと焦っていました。
そして、看護師になることに、学力だけでなく体力面でも適正がないと判断した私は、とにかく医療系の学校であれば、どこでもいいと思うようになっていました。
インターネットの無い時代、どうやって見つけたのか、私はとある医療秘書を養成する専門学校に行くことにしました。
入学説明会には、母にも取りあえず付いて来てもらい、入学を決めたのですが、この時、後々就職活動で苦しむことについて、深く考えていませんでした。
しっかりしているとはいっても、所詮、私は無知で世間知らずな子供というよりほかありませんでした。