{60}第7章 迷い道(1.価値観の違い)
私は職人である父を尊敬していました。
中学を卒業後、内弟子として親方の家での修行時代は私が想像できないくらい、さぞかし大変だったと思います。
父はよく『お父ちゃんが、賢かったら大工にならんかった』と
本気とも冗談とも取れるようなことを言っていました。
父の基本的な考えは、【働かざる者食うべからず】で、
一番稼いでいる者が偉いと思っているようでした。
また、職人の常識でしか物事を考えられないところがあり、
会社勤めの常識が全く理解できませんでした。
そして、昔ながらの男女の役割分担についても、父なりのこだわりを持っていました。
私に言わせれば、父は世間知らずでもありました。
銀行や役所の手続きは当然のことながら、病院の初診時に必ずある問診票の記入さえ、一人ではできませんでした。
更に情けないことに、自分が苦手でやりたくないことは、何やかやと言い訳をして、全て私に押し付けていました。
ある意味、母以上に扱い辛く、困った人です。
私が母と完全に決別をしたことを告げ、
『電話番号を変えたい』と言ったところ、
父は
『もしもの時に、あれが連絡だけはできるように、電話はそのままにしておいてくれ』
と反対しました。
私は父の優しさとも未練とも取れる言い草に
『いい加減にしろ』と言いたいところを我慢したのでした。
別れたとはいえ、夫婦のことは私にはわかりません。
今までの経験から、余計なことに口出しして、巻き込まれることに正直うんざりしていましたので、(後悔しても知らんで)と思うに止めました。
案の定、母からの電話は続きました。
私にああ言っておきながら、父は電話嫌いで、自分では絶対に出ません。
結局、私が尻拭いをすることになります。
本当にやってられません。
留守電の彼女の声を聞く度に、私の心はざわつきました。
それでも、無視し続け、父には何も言いませんでした。
私は両親を長年見ていて、
(人は口では何とでも言えるが、それに行動が伴わなければ何も信用できない)
と思い知らされていました。
そして、
(彼らはまさに似た者同士の夫婦だったのだ)
と妙に納得したのでした。
母からの電話だけでなく、母が賃貸している部屋の管理会社から家賃の不足の連絡がありました。
私は保証人であるにもかかわらず、管理会社の人に
『母と連絡を取っていないので、直接本人に言って欲しい』
『場合によっては退去もやむを得ない』
といった内容を伝えたのでした。
それ以後、管理会社からの電話を受けることはありませんでした。