{48}第6章 阪神淡路大震災 (2-3.行動すること)
父が営業している銭湯があると言うので、私達は早速行くことにしました。
二時間近く並んで、漸く入ることが出来た風呂は、まさに、【芋の子を洗う】状態でした。
湯船にはお湯が僅かしかなく、それも垢が浮いたもので、体と髪をどうやって洗ったのかわかりません。
それでも約一週間振りに風呂に入れたことで、さっぱりして気持ち良かったことは確かでした。
仮設住宅についての話が避難所での、専らの話題となっていました。
入居は抽選で、優先順位があるとのこと。
当時、父は五十九歳で私は三十歳。父一人なら入居できる確率が高いと思った私は、父にそう言ったのですが、父は『一緒に住む』と言って譲りません。
仕方なく仮設住宅への入居を諦め、自分たちで住む場所を探さなければならなくなったのでした。
父は自分が請け負っている建設中の現場へ、母は勤めている工場の片づけに、それぞれ通うようになっていました。
父から『今日にでも、家を見つけといて』言われた私は、不動産屋を探すべく、公衆電話ボックスで電話帳を開いたのでした。
驚いたことに不動産業のページは破られていました。
焦った私は近くに住む友人に電話をし、電話帳を貸してくれるよう頼みました。
震災後、連絡していなかった私を心配した友人は、色々な物を持って来てくれました。
薄情な私はその気持ちだけ有り難くいただいて、電話帳を受け取り早々に友人と別れたのでした。
そして数分間、辺りを彷徨っていた私の前に突然不動産屋が現れたのです。
ラッキーなことに、その不動産屋は営業していました。
事前に考えていた条件を言って物件を探して貰ったところ、今から見学できると言うので、早速お願いしたのでした。
場所、間取り、広さは申し分ありませんでした。
父の意見も聞きたかったところ、現場がすぐ近くだったことを思い出した私は父を呼びに行ったのでした。
そして、父の了解を得た私は即仮契約をして、最寄りの公衆電話から、父方の叔父に保証人と明日契約するので来て欲しいと頼んだのでした。
帰り道、自転車を漕ぎながら、
(私って凄い!私って偉い!)
と何度も何度も心の中で繰り返しながら、喜びを噛みしめたのでした。