wish

私がFP(ファイナンシャルプランナー)になった理由

{39}第5章 被害者同盟 (4-1.後始末)

 離婚したと言っても、世間体を気にする母の要望で、母の姓はそのままとし、母方の叔父(弟K)と祖母以外の親戚には離婚を知らせないというものでした。

 また、別居できるお金も無かったので、借りているアパートの大家さんに頼んで、空いている隣の部屋に母は住むことになりました。

中途半端な状況でしたが、

(こんな奇跡があるんだ)
(人生何があってもおかしくないんだ)と実感しました。


 私と父の生活再建のために、私はまず、市役所へ行きました。

 父が年金を払ってないことが、常々気になっていたからでした。


 役所の担当者には、『今から払っても年金は貰えない』ということを言われました。

この時、父は既に五十二歳でした。


 このままでは、父は無年金であり、将来の私の負担が大きくなると考えていた頃、父の生命保険の保険料の督促がありました。


 父の生命保険加入をきっかけに私も加入したいきさつから、知り合いになっていた外交員のおばさんに相談したのでした。

 そして、父は個人年金保険に加入したのです。