{30}第4章 転機 (3-2.娘であり母)
次に就職した大手書店の営業所では、6・5時間勤務の嘱託社員でした。
母が脳梗塞になったことで、家を出ることを諦めた私には、書店の月々の給料は少ないものの年二回のボーナスがあり、アフター5もといアフター3・5では自由な時間を心ゆくまで満喫することが何よりも嬉しかったのでした。
母からは、家にお金を入れるよう再三言われましたが、要求額がとんでもないこともあって断固拒否していました。
私の結婚資金として貯めてくれるならまだしも、それは天地がひっくり返ってもあり得ませんから、自分で生命保険に入り、積み立て預金をするなどコツコツとお金を貯めていました。
我が家の経済状態は相変わらずでしたが、私は何があっても母にお金を貸すことはありませんでした。
ある日の夜のことです。
両親が揃って、私に頼みがあると言いました。
何事かと思って聞くと、それは私の想像も及ばないことでした。
父から、『母が妊娠したので手術をする。
私に手術の同意書を書いて欲しいのと手術費用を出して欲しい』という内容でした。
まさに【驚天動地】とは、このことです。
(この人たちは、私のことを何だと思っているのだろう)
と瞬間的に思いはしたものの、同じ女として母の気持ちを想像した私は、
こう両親に告げていました。
『私が助けるから子供を産む気はないか』と・・・。
『母は脳梗塞が心配だから』と言い、
父は『この年で子供を育てるのはしんどい』と言ったので、
私もそれ以上言えず同意しました。
翌日、私は会社を休み、母と一緒に病院へ行きました。
そして、手続きを済ませ、手術が終わるまで待ち、母をしばらく休ませてから、また一緒に帰宅しました。
ずっと傍に付いていた間、母を決して責めなかった私ですが、
以前にも一度、私が十三歳の時に中絶したことがあったと聞いたことから、
父に対しては
『こんな時、傷つくのは女なのだから、避妊ぐらいちゃんとしろ』と、
きつい口調で責めたのでした。
それは、二十三歳の大人とはいえ、私にはやはり辛い経験でした。
その夜
(何で、私ばかりこんな思いせなあかんねんやろ)
と両親を恨むと同時に、自分の置かれている境遇を呪いました。
そして、泣きながら眠りに付いたのでした。
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そう、私が話し終えた後、
しばらく沈黙が続いた。
そして、私に梅木先生は言った。
「髙野さん。普通なら、もっと前におかしくなっていたはずよ」と。
私は何を言われているのか、すぐには解からなかった。
そして、それは【心の破綻】を言っていたのだと、
後で解ったのだった。