{29}第4章 転機 (3-1.娘であり母)
母は退院後、定期的に診察を受け、職場にも復帰していました。
ただ、現実を受け入れられない性格ゆえに、文字を書くことを拒否していました。
また以前にも増して、浪費を繰り返していました。
母は、『あんたが、何も欲しがらないから自分の物を買っている』と私の責任であるかのように言っていました。
外出も頻繁になり、新しく買った服を次々と着て出かけていました。イヤリングを自分で付けられない母は、私に頼むほかなく、私は面倒くさくてもその度にイヤリングを付けてやっていました。
私は新設で入院設備のある個人の外科病院に就職し、受付事務兼薬局補助をしていました。
事務員は他に女性が三名いて私が一番年下でした。
外掃除や汚れたリネン類の仕分け、点滴瓶をナースセンターに運ぶなど雑用は主に私の担当でした。
やりたかった医療の仕事ではありましたが、就業時間が曖昧なことが不満でした。
午前と午後に外来診察があり、日によっては12時間拘束されることが度々だったからでした。
また、人間関係も良くありませんでした。
何でもはっきり言う、私の態度が二人いる六歳年上の同僚には生意気で鼻に着いていたようです。
服装も気に入らなかったようで、次々と新しい服を買う私に嫉妬していたと後で人づてに聞きました。
服は母が飽きて着なくなったものを下取りと称して、借金ともども引き受けていただけでした。
年上の同僚二人は私の事情を知りませんから、
きっと(何不自由なく気楽にやっている)と思っていたのでしょう。
陰口を言われ、口を利いてもらえないという状態になったとき、もう一人の同僚に誘われて退職してしまいました。
父からは、
『お前は辛抱が足らん。何をやらしても、最後まで続いたことがあらへん』
と、子供の頃からよく叱られていた決まり文句を言われました。
私には返す言葉もなく、忍耐力のない自分にずっとコンプレックスを抱いていました。
その反面、自分の意思で選択できることに関しては、
(自分の気持ちに正直でありたい)と思っていました。
こうして好奇心が旺盛でチャレンジ精神に溢れた性格に育っていた私は、何事も前向きに考え行動するようになっていました。