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私がFP(ファイナンシャルプランナー)になった理由

{18}第3章 両親 (1-2.母という人)

 他にも、母には人の好意を金額の多寡で判断するところがあり嫌いでした。

 私に『安物を貰うくらいなら貰わないほうがましだ』と良く言っていたものです。
 母の日か何かで『プレゼントをくれるなら指輪がいい』と言われた私は、母が欲しがっていた七宝焼きの指輪を千円に負けて貰ってプレゼントしたことがありました。
 このように、自分の欲しい物であれば小学生の子供にでも平気で要求することができる人でした。

 何よりも私を悩ませた最大の問題は、欲しいものをどうしても我慢することができないという母の浪費癖でした。

 祖母からよく聞かされていた話に、母が若い頃、働いていた洋品店で服を買い過ぎて、給料では足りず家からお金を持って行っていたというのがありました。


また、『自分のお金には羽が生えている』と、悪びれもせず言っていました。

 そんな母なので、当然のことながら、お金はあるだけ早々に全部使ってしまい、後は父に泣きつきお金を工面して貰っては、その日その日を何とか暮らしていました。


 私については、給食費を払えないこともしょっちゅうで、その度に、『忘れた』と苦しい言い訳をしていました。今では記憶に残っていませんが、学校で急にお金が必要になった時は本当に困っていました。
 

 お金で情けなかったことの一つは、新聞代をまともに一度で払ったためしがないことです。集金に何度も来てもらっては、いつ払ってくれるのかと催促されて、今でいう【逆ギレ】を起こしていました。
 

 こんなことが、私に至っては普通であり、お金がないことが当然になっていました。
 

 そして残念なことに、母の浪費に対して父も全くの無力でした。