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私がFP(ファイナンシャルプランナー)になった理由

{19}第3章 両親 (2-1.父という人)

 大工である父は、仕事熱心で真面目な人でした。


 夜は八時には布団に入り、朝は目覚まし無しで、三時頃には必ず起きて、家族全員の洗濯を始めます。作業服の汚れ落ちもあってか、湯沸かし器からお湯を汲んで洗っていました。

 分別洗濯などは論外で、何もかも一緒くたでした。洗濯物の仕上がりは、取りあえず汚れは落ちていて一見綺麗なのですが、色物の色が下着に移ってピンク色になっていたり、タオルにおが屑が付いていたりと、後で畳む私は大変でした。

 そんな中、私を毎度惨めにしたことは体育用のブルマでした。

 ブルマの素材からいって、タオルと一緒に洗うとどうなるか。

 白くて細かいプチプチがブルマ全体に付いてしまって、ちょっとやそっとでは取れない。私は諦めてそのブルマを穿いていました。恥ずかしいのと同時に、友達のブルマは(どうして綺麗なのか)と羨ましくもあり、不思議でもありました。

 朝早くから楽しそうに鼻歌を歌いながら、二層式洗濯機から溢れんばかりの泡を作って洗濯している父に、私はその事を言うことができないまま欝々としていました。

 
 父の朝の日課は他にも、ご飯を炊く、やかんにお茶を沸かす、弟の仏前にそれらを供えた後、母を起こして弁当を作ってもらい、自転車で雇われている工務店に仕事に行くといったものでした。常用で雇われているとはいえ、給料は日当で、休みは日曜日とお盆と正月だけで、有給休暇もなく父は休まず働いていました。

 父の当時の楽しみはテレビとタバコとパチンコでした。お酒は強いのですが、ビールの大瓶一本を晩酌に野球のナイターを観る以外、飲みに出かけることはありませんでした。但し、タバコは一日一箱吸っていて、休みの日はパチンコ三昧で調子が良ければ開店から閉店までしていました。

 ですから私は、休日に家族で遊びに出かけるといった経験がないまま成長しました。