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私がFP(ファイナンシャルプランナー)になった理由

{17}第3章 両親(1-1.母という人)

子供の頃の母は体が弱かったそうです。
鳥、蝶々など飛ぶものを極端に怖がり、私の背後に隠れてはやり過ごしていました。

たぶんそれは、兼業農家だった生家の土間での食事中に、燕のひなが飛んでいたのがトラウマとなっていたと思われます。


また、喜怒哀楽が激しくて、俗に言う【ゲラ】であり【イッーとなる】と言ってヒスを起こし、ドラマを見てはもらい泣きをし、レコードを聴きながら調子外れに歌うといった感じです。

 私に対しても、一緒に手を繋いで歌を歌いながら銭湯へ行き、寝付くまで昔話を聞かせてくれることもあれば、ヒステリーを起こしては八つ当たりされて、些細なことで酷く叱られました。

このように、ころころ変わる母の感情に私は振り回されて育ちました。


 母は神経質でもあり、『誰が触ったかわからない』と言って、お金を触った後は必ず石鹸で手を洗い、店頭販売の試食は絶対にしない、やかんの注ぎ口には埃が付いていると言って中身を捨てることで注ぎ口をゆすいでから飲むなど、数え上げれば切りがありません。

その反面、道に唾を吐き、服は脱ぎっぱなし、掃除はしないなど矛盾していました。


 私が最も嫌だったことは、夏休みなど学校が長期の休みに入ると同時に、必ず母の実家に行くことでした。それは、私鉄と当時の国鉄(JR)を乗り継いで約三時間の移動で、国鉄(JR)の座席取りが出来るかどうかが、私にとっての憂鬱の種でした。
 私の役目は素早く列車に乗り込んで人を押し除けてでも座席を取ること。これに失敗しようものなら母から散々叱責され、その後もずっと不機嫌な母に怯えていなければならず、田舎に行くことが本当に苦痛でした。