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私がFP(ファイナンシャルプランナー)になった理由

{49}第6章 阪神淡路大震災 (3-1.希望を持つこと)

 私は手を酷使し過ぎて書店の仕事を辞めざるを得なくなり、その後幾つかの仕事を経て、子宮ガン診断などの検査をする事務に転職していました。


 神戸の東灘にある職場に連絡出来ずにいた時、同僚が避難所に探しに来てくれたのです。


 私は住む場所も決まり、避難所で一人のんびり寝転んでいました。

 うとうとしていた私の目の前に、突如同僚の顔が現われたのです。

 当然のことながら、私はびっくりして、しばらく訳が分かりませんでした。


 同僚は『連絡のつかない私を心配していたこと』

『自宅が一番近い自分が、帰り道の途中に訪ねたこと』

『まず全壊したアパートに行き、私がここに避難していることを大家さんから教えて貰った』と説明してくれました。


 正直なところ、私は今の今まで職場のことを全く気にかけていませんでした。

 だから、訪ねてくれた同僚には、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした


 同僚が話してくれた内容は、衝撃的で俄かには信じられなかったです。

 それは、『東灘区の一階から三階部分まで職場があった集合住宅が全壊した』と言うことでした。

 しかも、『四階部分が押し潰され、真下にあった私達の部署は辺り一面ガラスが散乱していて、そんな中から、漸く機材を運び出し終えた』と言うことでした。

 また、『私の私物も運び出したが全部は無理だった』と残念そうに話してくれました。


 それを聞いて私は、同僚たちの危険を伴う作業に感心しつつ、何も手伝えず、職場のことを後回しにしていた自分を心の中で、ただただ恥じていました。

 幸いにも他の同僚たちは皆無事であり、今後については、『本部で業務が再開できるまで、私は自宅待機をしていて良い』と教えてくれたのでした。

 猛省の中、私は同僚に感謝の気持ちを伝えることしか出来ませんでした