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私がFP(ファイナンシャルプランナー)になった理由

{46}第6章 阪神淡路大震災 (2-1.行動すること)

 震災当日は、私がコンビニで買った僅かな食料を私達三人と大家さん夫婦で分けて食べましたが、翌日は何もありません


 私は自転車に乗って飛び出しました。

 近くの小学校の体育館に行って食料を分けてもらおうと考えたのでした。

 慌てていた私は、『住んでいる地区の学校ではないから、自分たちの地区の学校へ行くよう』に言われました。それ以上はとても話しかけられないと思った私は、自分たちの地区の小学校へ向かおうとした時、父が私を追いかけて来ていたのを知りました。


 二人で着いた地区の小学校の体育館も、先の小学校と同様でした。話しかけられる雰囲気でないことと、助けて貰える余裕もないと、咄嗟に感じた私は次の目的地を探すべく、再び自転車を走らせようとしました。


『どこ行くんや』
と、息を切らせながら父が言うので、


『お父さん、私一人でも大丈夫やから、付いて来んと先に帰ってて』


 そうして父と別れた直後、ある団体の支部の前を通りかかったのでした。


 たくさんの物資が運び込まれている様子を驚いて見ていた私に、見覚えのある姿が飛び込んできました。


『Hさんっ』
私に名前を呼ばれたことに気づいたHさんに向かって、私はなおも続けました。


『老人憩いの家に同じ○○町の人たちが大勢避難してますが、食べるものが無くて困ってます。私達にも食べ物を届けて貰えませんか。お願いします』


 Hさんに支援を約束してもらった私は憩いの家に帰って、父と母、大家さんにその一部始終を話し、安心してもらったのでした。


 数時間後には、約束通りたくさんのおにぎりが届けられました。

 Hさんに感謝するとともに、皆で食べるおにぎりは本当に美味しくて、私はお腹だけでなく心も満たされたのでした


 それからも、数日間に亘って支援の食料が届けられました。

 また、偶然に同じ団体に所属する一人暮らしのお婆さんが避難していたので、間もなく引き取られて行きました。私は避難直後、そのお婆さんが裸足でいたことが気になり、家にあった新品の靴下を穿かせてあげていたのでした。