{45}第6章 阪神淡路大震災 (1-2.無事であること)
アパートは全壊でした。
私の住む一階の部屋は隣の大家さんの家が支えとなっていましたが、母の部屋から先は建物が無く、大きく傾いていました。
一旦、部屋に入って服を着替え、靴を履き、貴重品を取り出した私は近くにあるコンビニに向かいました。
コンビニの前の公衆電話から、同じ市内に住む父方の叔父に無事を知らせ、巻き寿司など目についた食べ物を買ったのでした。
コンビニではレジが使えないのか、店員が電卓で計算していましたが、余震の危険もあるので店を閉め始めていました。大勢の客でごった返す中、ぎりぎりで買えました。
もう一度、叔父に電話をしようとしましたが、公衆電話も繋がらなくなっていました。
大家さんの計らいで、近くの【老人憩いの家】に避難しました。
ここは、町内会の施設であり、一階は八畳の和室と台所、二階は六畳の和室が二間とトイレがあり井戸水が使えました。また、電気も付いたので二階にあるテレビを見ることもできました。
早々に落ち着くことができた私は、明るくなった外へ母と様子を見に出かけ、近所の人たちに憩いの家に来るように言って回ったのでした。
余震が続いており怖かったですが、テレビで地震の状況がわかることと、避難する人が増えて大勢でいることが心強かったです。
私達にはテレビの映像が、今実際に起こっていることとは、俄かに信じ難いものでした。
そして、それを受け入れるより、どうしようもなかったことも事実でした。