{47}第6章 阪神淡路大震災 (2-2.行動すること)
その夜、大家さんから私達にアパートの賃貸契約を解約するという話がありました。
契約書を見せられ、説明を受け、すぐに手続きが終わりました。
敷金の一部は戻って来ましたが、私達は新たに住む所を見つけなければならないのと、大家さんが『建物の解体を早くしたい』と言ったので、すぐにでも家財を運び出さなければならなくなりました。
翌日、私は父に『家財を一時置かせてもらえるよう、前田さんにお願いしてほしい』と頼み、私は近くの運送屋へ車と運転手を調達に行きました。
次の日、私達三人で運び出せる限りの家財を持って、前田家に向かったのでした。
久しぶりに訪ねた家は、私が世話になっていた頃とは、すっかり見違えっていました。私達は空けて貰った駐車スペースに運んで来た家財を置き、ビニールシートで覆い紐掛けして作業は終わりました。
前田さんからの申し出で、弟の仏壇を家の中で預かっていただけました。
私は、そのお心遣いとご好意に、今も感謝してもしきれない思いです。
【三日間は自力で過ごせるだけの備え】をとはよく言ってもので、四日目にもなると、憩いの家に避難している人達が、役所から救援物資を貰って来るようになっていました。
私は新品のタオルを二枚と古着とは思えないほどきれいな白いチノパンを分けて貰ったのでした。
私は母と近所の様子を見に出かけることにしました。
町には人の姿もほとんどなく静かで、所々で多くの建物が倒壊していました。
商店街の被害も酷く、幼馴染のタカちゃんの魚屋さんも無くなっていました。
今までは自分たちのことで必死であり、テレビの報道で被害の状況は知っていましたが、こうやって実際に目の当たりにしてみると、地震のパワーの凄さを思い知らされたのでした。
神社の前でパンの出店があったので二つ買いました。
久々に食べたパンはいつ作ったものなのか、ぱさぱさでとても美味しいとは言えない代物でした。
今の状況下なら、どんなものでも商売になると思って、私達に売ったのならば本当に酷い話です。
(非常事態であればこそ、その人本来の人間性が試されるのだなぁ)
と思った経験でした。