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私がFP(ファイナンシャルプランナー)になった理由

{51}第6章 阪神淡路大震災 (3-3.希望を持つこと)

 自宅待機中で暇な私が、仕事に出ている父と母の食事を準備していました。救援物資だけでなく、自分たちで惣菜を買って来て食べていました。

 三人での食事は、はっきり言って楽しいものではありませんでした。

 他の人たちの手前もあり、怒鳴り合うまではいきませんでしたが、父と母は文句ばかり言い合っていました。

 そして間に入っていた私は、ストレスと疲れのためか、とうとう風邪を引いてしまいました。実は震災翌日から突然生理にもなっていたので、本当に体は正直だと思ったのでした。
 隣にある掛かり付けの医院で、薬を貰い飲んでいましたが咳が止まりません。

 夜は雑魚寝ですから、咳をしては回りに迷惑をかけることになります。

 私は必死で咳を我慢していましたが、どうにもなりません。

 母が嫌そうな顔をして、『私に咳をするな』と言いました。

 そして次の日から、新しく借りた家で一人寝ることにしたのです。


 こうして、私の十四日間の避難所生活は終わったのでした。

 

 借りた家でも、まだ水道は使えませんでした。


 家財も運び込んでいない何も無い部屋に、一人で居ても寂しくはありませんでした。逆に、風邪を理由に早めに移れたことが良かったとさえ思っていました。


 父は避難所にいる方が『銭湯にも近く、都合が良い』と言い、しばらくの間、私は全壊した自宅からスプーンの一本に至るまで拾い集め、できる限り運べる物を自転車で日に何度も新居に運び、夜は避難所で食事をして一人寝に帰っていました。


 次の日曜日に、父方の叔父が手伝いに来てくれたので、家具などの大きな物を運び出し、前田さん宅に仮置きしている家財を持って漸く引っ越しました。