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私がFP(ファイナンシャルプランナー)になった理由

{53}第6章 阪神淡路大震災 (4-2.別居)

 引っ越しはしましたが、水道が使えるようになるまで、父は避難所での生活を続けることにしたので、私は引き続き避難所に通っていました。


 母は避難所で私達といる間、お金はもとより食事や身の回りのことを全部私に任せっきりでお気楽そのものでした。


しかし、私達が早々に引っ越しをしたことで
『あんたらは良いよな、住む所が決まって』
と言い出しました。


 父は母が仮設住宅に申し込めば、(直ぐにでも入居できるようになる)と思っていたようですが、私は(そう簡単にはいかないだろう)と考えていました。

 そして、(母の気性ではまず我慢できないだろう)とも思っていました。

 

 離婚した時に、(無一文で追い出された)と思い続けている母に、

今回は(私が保証人になって住む所を借りてあげよう)と決めたのでした。


 (高齢者は部屋を簡単に借してもらえない)と思い込んでいた当時の私は、

今も反省して止まない大失敗をしてしまいました。


 母の住む所を二人で探し歩いていた時、偶然入った不動産屋から上の階に空室が有って見せて貰えるとのこと。部屋はワンルームで最低限の設備も有り、これまで見てきたどの部屋よりも良かった。

 母もここが『良い』と言うので、早速仮契約をすることにしたのでした。

 不動産業者は翌日正式に契約するに当たり、『手付金をいくらでも良いから払って欲しい』と言ってくれたにも関わらず、私は(どうせ借りるのだし、家主でもある不動産業者に信用されるだろう)と考えて、持参していた十万円を払ったのでした。


 避難所への帰り道、ずっと物件探しで世話になっていた不動産屋に、今後の紹介を断ろうと寄った時のこと、(見るだけなら良いだろう)と新たな物件をその足で見に行ったのでした。


 案内された部屋は、先ほど仮契約したものよりずっと良く、間取り、収納、水回り設備、どれを取っても比べようがなかったです。また、母の職場に近く、被災した以前のアパートと同じ生活環境で暮らせることも申し分なかったのです。


 母の様子を窺っていると、私と同じ思いであったようでした。

 そして、母は母なりに、既に手付金を払っている部屋を(辞めたいとは、流石に私に言えない)と思っていたようでした。

 私はそんな母を気遣って、『自分のしたいようにすればいい』と言ったのです。


 翌日、仮契約をした不動産業者から確認の連絡があり、私は断りました。

 当然のことながら、手付金は戻ってきませんでした。