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私がFP(ファイナンシャルプランナー)になった理由

{54}第6章 阪神淡路大震災 (4-3.別居)

 それからの母は、ほぼ理想通りと言ってもよい部屋が決まりご機嫌でした。

 また、大阪に住む母の叔母が電話の加入権を譲ってくれたので、電話を使えるようにもなりました。更に、私は母の新生活に必要なものを揃えるため、久々に二人で三宮へ行くことにしたのでした。


 三宮の街は暗く沈んでいました。

 かつて、書店勤めのため毎日通った、あの懐かしい街ではありませんでした。


 私は込み上げてくる悲しみに必死で耐え、母を連れて私のよく知る家電量販店に向かったのです。


 そこでは客も店員も【がんばろう神戸】のもと、明るく前向きに今を耐えているように感じられたのでした。とりわけ母については、新生活への期待と買い物ができるからか、子供のようにはしゃいでいたと記憶しています。


 母の引っ越しには、離婚の際に世話になった母方の叔父が、夫婦で手伝いに来てくれて助かりました。叔父が軽トラックを借り、運転もしてくれたおかげで、前田さん宅に残っている母の荷物を引き取り、新居に運び入れ、こうして母の新生活のためのすべてが整ったのでした。


 義理の伯母は
『いっちゃん、お母さんのためにようこれだけのことしてあげたなぁ』
と感心した様子で言ってくれました。


『これも皆が無事だったし、別れて生活していたおかげだよ。

だから、皆が助かったんよ。あのままずっと一緒に暮らしていたら、

今頃、皆路頭に迷っていたと思うわ』
と私は正直な思いを言ったのでした。


『何言うてんのん、あんたが頑張ってお金、貯めていたからよ』


『うん。地震の後、すぐに全財産の通帳と印鑑を取り出して、

肌身離さず持ち歩いててん。

現金があったから、家が見つかっても、すぐに借りることができたと思うわ』


『あんた、ほんまに偉いわ』
と伯母は言い、

更に母に向かって
『お姉さんも、いっちゃんがこれだけのことしてくれてんから、

これからは甘えんとしっかりせな』
と言ってくれました。


『うん。いっちゃんには感謝してる。頑張るわ』
と母は心からそう言ってくれたのでした。


私はこれをきっかけに、母が変わることを密かに願いました。


そして、漸く別居ができたと実感した瞬間でもありました。