{55}第6章 阪神淡路大震災 (5-1.第二の決心)
被災後、私と父だけでなく母もすぐに部屋を借りることができ、それぞれが仕事も続けられたことは本当に運がよかったとしか言い様がありませんでした。
しかし、(今後の生活を考えると、喜んでばかりいられない)と、私は正直思っていました。
何故なら、家賃が以前に比べ倍近く増えたことと、母の家賃も半分負担することになったからでした。後に、被災者に対して家賃補助の制度があり、両方が補助を受けることができましたが、それでも負担は重いものでした。
私は毎月、母を訪ねて家賃の半分を受け取り、残りの半分を加えて家主に振込んでいました。
そうやって、少なからず母の生活振りを監視することが、保証人である自分を守ることでもありました。
母との約束は、『定年までは家賃を半分負担するが、それから先は、家賃の安い公営住宅に移ることを考えなければいけない』というものでした。
震災の翌年の正月は、母を呼んで新年を三人で祝い、家にも泊めました。
このまま分相応で、穏やかに暮らせると思った矢先、
またしても母の悪い癖が始まったのでした。