{41}第5章 被害者同盟 (5-1.無心)
私は父との二人暮らしを【被害者同盟】と呼んで、協力し合いながら頑張っていこうと考えていました。
父に負担をかけないよう家計は当然のことながら、弁当を含めた食事作りが新たに私の役目となりました。
家庭科は得意でしたし、皮肉なことに母の面倒がない分、家事は変えって楽になりました。
勤務時間が短いことも幸いして、仕事と家事の両立だけでなく趣味の時間も確保できていました。さすがに、同僚とのお茶の時間は減りましたが、小遣いの倹約と思い我慢していました。
父に至っては、生活面と雑事を私に任せることができたおかけで、仕事だけに専念して居ればよく、かなり楽になっていたと思います。
但し、母について、新たな頭痛の種ができたことを除いてですが・・・。
筋金入りの浪費家である母が離婚したとは言え、隣に居ては金の無心に来ることも当然予測していなければならなかったのに、私達は油断していたのです。
母はお金が乏しくなると、家の戸叩き『お金貸してぇ』としつこく言い続けました。
『貸せない』と断っても、母は諦めることなく、当たり構わず大声で要求し続けましたが、私は断固無視して戸を絶対に開けませんでした。
それは、当時、社会問題になっていたサラ金の取り立てを疑似体験していると言っても過言ではない状況でした。
母のお金への貪欲さは、こんな事では収まらず、父の出勤時を狙うようになっていました。
『お金貸してぇな』
『持っとらん』
『お願いやから、貸してぇ』
『邪魔やから、どいてくれ』
『貸してくれな、生活でけへん』
『仕事行くから止めてくれ』
父が根負けするまで、毎朝続きました。
私は父に毎月決まった小遣いを渡していましたので、その中から工面して母に貸してやっていました。
私はそのことについて、父に何も言いませんし、小遣いを余分に渡すこともしませんでした。何故なら、それは父が自分で解決すべき問題であると思ったからでした。
私の期待とは裏腹に、父は母に気づかれないよう、朝はこっそりと家を出て行くことでやり過ごしていました。
そして、私に
『あんな、恐ろしい女は居らん』
『あれと一緒になったのは失敗やった』
と繰り返し言っていました。
私は母にお金を決して貸しませんでしたが、やはり母の体は心配でしたので、おかずを多めに作っては母に差し入れていました。
実のところ、私は離婚届を役所に出さないで持っていました。
そうやって、母の様子を窺っていましたが、母が変わることはありませんでした。
別居から一年ほど経った時、私は離婚届を提出したのでした。