{5}第1章 弟 (4.お別れ・前)
夜の十一時頃だったと思います。
銭湯から帰ると電話が鳴っていました。
間違い電話だろうと母と話しているうちに電話は切れました。
実は、この時の電話が弟の容体の急変を知らせるものだとは母も私も考えもしませんでした。
次の日の夕方、父が私に弟が死んだので、近くの親類の家に私だけ泊めて貰いに行くと言いました。
急いでいる父のそばで呆然としていた私に、同じアパートに住んでいて、家に電話を借りに来ていたお姉さんが赤いハート型のチョコレートの入った箱をくれました。
(元気を出して)と言われたような記憶があります。
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そこで、一息ついた私は
「少し遅めのバレンタインデーチョコを貰ったんですね。」
と冗談っぽく言った。
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親類の家では母屋から離れた部屋に一人寝かされました。
静寂の中、布団に入って真っ暗な天井を見つめていても、少しも暗闇を怖いと感じなかった。
ただ、(トミちゃんが死んだんだ・・・)
と心の中で呟いていると涙が溢れてきて、
(これからどうなるのだろう)
という恐れで、その夜は眠れなかったことを覚えています。
次の日、父に連れられて入った部屋は、私の知らない施設の場所で、布団に寝かされている弟と傍らに座る母がいました。
母が涙声で
『いっちゃん、来たの。ここに座ってトミちゃんに会って。』
と言われた後のことを私はよく覚えていません。
ただ、弟の両首と両脇に氷が当てられていたのを不思議に思ったことと、弟を解剖してもらって医療に役立てもらうという話を母がしていたことだけ記憶しています。
葬式は自宅で行われました。
ポカンと口を開けたあどけない表情の弟の大きな白黒写真が黒いリボンに縁どられ祭壇の最上部に置かれていたことが、
(弟が死んだということなんだ)
と思いました。
玄関口で弔問客がお焼香をしているのをずっと見ていると、顔見知りの近所の人や学校の担任の先生が来てくれていました。
その時、私は
(いつ学校へ行けるんだろう)
と考えていたような気がします。
出棺の時、
突然、父に位牌を持って霊柩車に乗るように言われました。
『お父ちゃんとお母ちゃんは行けないから、喪主のおまえが一人で行かないといけない。』
という様な内容だったと思います。
何でも、逆縁の場合、親が喪主になれないだけでなく、火葬場にも行ってはいけないと父が叔父から言われたためでした。
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これには梅木先生も
「えっ、聞いたことがない。」とびっくりしていた。
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