{130}最終章 おひとりさま(3-1.大叔母)
私のおひとりさまとしての目標は大叔母(母の叔母)である。
彼女は昭和ひとケタ生まれで青春時代を(第二次世界大戦の)戦中・戦後で過ごした。
乳飲み子であった母と暮らしたこともあり、母を叱責し意見できる唯一の存在であった。
兄弟の末っ子で一人娘のため父親(母の祖父)がずっと傍において一緒に暮らしていた。
父親が他界してからは寡婦である義理の姉とその息子達(母の従兄弟)と暮らし、四十代で分譲マンションを購入して一人暮らしを始めた。
独立はしたが、さほど遠くない距離ということもあり義理の姉家族を気遣ってよく会っていたようだった。
また、手先が器用であった大叔母は長年勤めた造幣局を早期退職して造花作り(ペーパーフラワー)の先生になった。
この、決断を後押ししたのは既に成人となっていた甥(弟)の『元気なうちにやりたいことをした方が良い』という言葉だったと大叔母は話してくれた。
そして、造幣局の上司が『定年退職まであと少しなのだから辞めるな』という言葉に迷うことなく退職した。
母と大叔母のマンションに何度か遊びにいった際、本物と見まがうばかりの作品が所狭しと飾られている部屋は圧巻としかいいようがなかった。
私もリボンを使ってポーチなどの小物作りをいろいろ教えてもらった。
中でも石鹸にピンを刺しリボンで巻いて花籠や白鳥を作ったものは専門学校の卒業時にお世話になった先生方や友人にプレゼントして大好評だった。
震災の時に心配をかけた奈良の友人が『今も家に飾ってあるよ』と卒業して15年経った頃に言われたのには感動してしまった。
製作者の私はさっさとリボンを解いて石鹸として使って跡形もなくなってしまっているというのに・・・。