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私がFP(ファイナンシャルプランナー)になった理由

{112}第9章 自分の人生(3-5.気がかり)

 私は福祉の担当者に現在の私の状況

(一年前に癌になって五年間は再発の不安があること)

(父が無年金で私が生活費を管理サポートしていること)を説明した。

 さらに、これまで母の浪費癖でどれだけ大変だったか。

離婚してからも、出来る限り援助してきたこと。

別居して二十年以上経っていること。

最後は感極まって「助けたくても無理なんです」と泣きながら訴えたのだった。

 

 話を聞き終わった担当者から

『今までのことがわかって、お母さんの行動にも納得できました』と言って、

これまでサポートをして困った経緯を教えてくれた。

更に

『自分が知っている中でも本当に気の毒だと思う』と言って、扶養できないことを了承してくれたのだった。

 その日の夜、義理の叔母に母が生活保護の申請をしていて、扶養の意思確認について役所に説明に行ったことを伝えた。

そして、『叔父だけでなく叔母二人にも扶養の意思確認について役所から連絡があると思うので予め知っておいて欲しい』

『ご迷惑をお掛けして申し訳ありません』と言った。

 

 後日、叔母から電話があり、【お知らせ】が届いたので叔父と二人で役所に出向いて話しをして来たと聞かされた。

 叔母は『福祉の担当の人、ようわかってくれたわ』

『これからはこっち(叔父夫婦)に連絡してもらうようにしたから。あんた、もう何も心配せんでいいからね・・・』

 それは、母に何かあれば叔母からの電話で様子を知ることができるだけでなく、役所から直接知らされるより私の精神的負担が減ることでもあった。

 この叔母の素早い行動力と助けには、何度も驚くとともに本当にありがたい思いだった。

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 父にはこの事態を話すことはなかった。

 なぜなら、あれだけ電話番号を変えることに固辞していた父が『番号を変える』と言った経緯があったからだ。

 おそらく、私が出て行き一人になり母からの頻繁にある無心の電話に、

さすがに耐えられなくなったということだろう。