{129}最終章 おひとりさま(2-12.父 逝く)
パートを始めたのはファイナンシャルプランナーとして独立するにあたって、当座の生活費を得ることと興味のある職種だったからだ。
フルタイムと違って融通が利き、セミナーの参加など勉強の時間も確保できるはずであった。
しかし、実際は担当する顧問先が決められ、毎月申請業務の期限に追われるものだった。
私はずっと働いてきたが、しばらく仕事をしていなかった主婦の人たちは本当に大変そうだった。
しかも、業務内容によっては専門的な知識が必要なものもあり(従前の職場とは逆の意味で、失礼ながらパートのする仕事じゃないな)と思っていた。
私の場合、様々な仕事を経験したことがここで活かされて、多少困っても上手く対応できた。
仕事の続かなかったことに悩んだ日々を思うと皮肉なものである。
あらためて勤めていた大手企業では非正規社員でも福利厚生制度に加入できるなど、それなりに恵まれていたと思った。
その反面、在職中はどうしても正規社員といろいろ比べてしまうし、長く勤めるほど格差は広がっていったことも事実であった。
パート勤めを父に知られると『家に帰って来い』と言われかねない。
だから、最後まで黙っていた。
父の事故を振り返ってみて、このパート期間は必然だったのではないかと思う。
最寄りのバス停留所は父が入院していた病院前。
父が利用していたデイサービスセンターと葬儀会場がバスの運行ルート上にあって、否が応でも毎日の行き帰りに父を思い出させる。
段々と通勤が辛くなって、数ヶ月後に辞めた。
同時にファイナンシャルプランナーとして独立することも中断したのだった。