{68}第7章 迷い道(4-2.執行猶予)
父と訪れた高齢者対象の職業紹介所は、私が行き慣れた職業安定所とは違い、落ち着いた雰囲気で相談をしながらゆっくり仕事を探すことができました。
期待はしていませんでしたが、それ以上に現実は厳しいものでした。
大工仕事は当然ながら皆無で、六十を過ぎた父に出来る仕事は本当に限られたものでした。しかも賃金は時給で数百円というものばかりです。
父より就活の大変さを知る私がショックを受けるほどですから、父のショックは(さぞかしだろう)と思いました。
しかし、父は私が思っていた以上に覚悟を決めて来ていたのでした。
父は大手スーパーマーケットの掃除を請け負う会社のパートで働くことを選んだのでした。
その場で希望する会社に連絡を取ってもらい、後日面接を受けに行くことが決まりました。
父は生まれてこの方、履歴書を書いたことがありません。
私が下書きをして、写真を撮りにも着いて行きました。
こうしてどうにか履歴書は準備できたのです。面接での注意もしたと思うのですが、記憶に残っていません。
父は採用されました。
父も『やる気がある』と言うので、私は安心したのでした。
しかしながら、収入が激減するため生活は当然苦しくなります。
それは、私が今以上に頑張って稼ぐ必要に迫られることでもありました。
この頃の私は本当に焦っていて、真剣に仕事と向き合う余裕がありませんでした。
また、私なりにどんなに頑張っても仕事に遣り甲斐が見つからず、時間的な制約も相変わらずで、続けることができませんでした。
そして何よりも、【生活のため】と割り切って仕事をすることに、私はどうしても妥協できないでいたのです。
こんな中途半端な私が勉強を投げ出さず続けられたのは、勉強している間だけは仕事のことを考えずにいられたことが大きな理由だったと言えました。
父が清掃の仕事に就いて一年ほど経った頃、工務店で働かないかと頼まれました。
常用でしたが、いつまで雇って貰えるかわかりません。
ここで清掃の仕事を辞めてしまえば、おそらく再雇用はされないでしょう。
悩んだ末、父は大工仕事に戻ることになりました。
父が大工に戻ったことは父自身を甦らせただけでなく、私も精神的に楽になることができたのでした。
本当のところは、私が仕事に定着できるまでの執行猶予が与えられたといった方があっていたかもしれません。
ほっとしたのも束の間、また厄介なことが起こりました。