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私がFP(ファイナンシャルプランナー)になった理由

{124}最終章 おひとりさま(2-7.父 逝く)

 葬儀が終わるまで、遺族が悲しみに浸っている暇はない。
  
 朝から葬儀社の人と通夜、葬儀について一連の説明を聞きながら様々な事を決めていく。
 実は、(父がもう駄目だ)と諦めていた私は事前に見学して、概要を聞いていたのだった。
 いつもながら、最悪の場合を想定して準備してしまう自分の行動パターンがここでも役立った。

 僧侶、親族、父の仕事関係者と知人、私の友人に連絡。

 僧侶が来て読経。
(僧侶より枕経は臨終後すぐであり、真夜中だろうと連絡すべきであったことを指摘された)
 故人について(戒名を考えるにあたってか)聴かれたことを話す。

こうして、午前は過ぎて行った。

 

 そして、【湯灌】が行われ、当然私一人で立ち会った。
 
 男女二名の担当者が遺体を洗い清めていく過程を見つめていた私は
担当者から『お手伝いしていただけますか』と言われるがまま手伝った。

 今なお残る打撲の青痣はファンデーションで隠し、ずっと開いたままで硬直してしまった口をできるだけ閉ざすよう苦心してもらった。

 持参していた新品の下着と肌着。愛用のよそ行きを着せて死出の身支度が終わった。

 彼らの遺体への細やかな配慮と流れるような手順に感謝するだけでなく、

感動した人生初の貴重な体験であった。

 

 その後は一日一組の家族葬を行う葬祭場の祭壇が整えられていく様子を父の傍で所在なく見て過ごした。

 遺影に選んだ笑顔の写真が中央に飾られた。

 通夜には父方、母方双方の叔父夫婦と母方の叔母とその家族、母の従姉妹といった親族。父の仕事でお世話になった人たち。私の友人たちが弔問に来てくれた。

 大工を辞める直前まで一緒に働いた弟弟子でもある〇〇さんが『この写真、僕も持ってるで』と言った。

 それもそのはずで遺影用写真は社員旅行で一緒に撮ったものだった。
 連絡が着かなかったデイサービスでお世話になった介護員の女性も弔問に来てくれた。
 見学の時にいろいろ説明してくれた人で

『家族でもなかなかできないこと(体験見学に付き添う)です』と言ってもらったことが思い出された。

 皆が駆けつけてくれたことで、思ったよりも寂しくない通夜となった。

 葬儀社の人に『今は、遺族の負担を考慮して寝ずの番で遺体に付き添わなくても良い』と教えてもらった。

 私は宿泊できるにもかかわらず『家に帰るから、叔父さんたちも帰って』と言って、父を一人残して帰宅したのだった。

 今振り返ってみて(どうして父に寂しい思いをさせたんだろう)と後悔しているが、
当時は(無事に葬儀を終わらせるために休んでおかなくては)との一心だった。