{125}最終章 おひとりさま(2-8.父 逝く)
葬儀にあたって、田舎から伯父夫婦、叔母夫婦、従兄弟が来てくれた。
八十一歳の父の兄妹は当然ながら高齢であり、遠方から来てくれたことにさぞかし父も嬉しかっただろう。
他には父方の叔父夫婦、母方の叔父夫婦と田舎から叔母も来てくれた。
この叔母のありがたい弔問は予定外だった。
料理が足りず喪主である私はスタッフ用を分けて貰うことになった。
皆と違うことに『アレルギーで食べられない物があるから』と言い訳までしてのアクシデントだった。
父の仕事関係者と私の友人たちがそれぞれに供花を贈ってくれたので、"お爺さん"の葬儀でありながら華やかな祭壇になった。
出棺時はその花々で棺がいっぱいであった。
二度目の霊柩車の助手席に乗った。
私は運転手に九歳の時に弟の葬儀の喪主として乗ったことを話した。
運転手は『30年以上仕事をしているがそんな経験はない』と言った。
葬儀社の人も『僕が(当時の)担当者なら全力で(霊柩車に一人乗せることを)阻止する』と言った。
今更だが(九歳の私の体験はやはり有り得ないことだった)と思った。
火葬場に着いた。
当時とは多少様変わりしていたとしても、
(ここで待っていることが怖かったんだなぁ)と親族の到着を待ちながら、
また思い出にふける。
お骨拾いも弟の時とは違った。
皆で係の人の説明を聞きながら、順々に骨を拾い壺に収めた。
何より骨壺が重かった。
司会者との打ち合わせでは最後の挨拶はしないと言っていたが
「本日はご会葬いただきありがとうございました。
父は子離れのできないどうしようもないところがありました。
でも、職人として仕事に対する姿勢には心から尊敬しています。
私がこれからも泣かずに楽しく日々過ごしていくことが、父への何よりの供養になると思います。
本当にありがとうございました」と言いながら声が詰まり涙が零れたのだった。
実家で仏壇横に父の遺骨を置き、帰宅した。
こうして、父が救急で運ばれてからの目まぐるしかった二週間が終わった。