{122}最終章 おひとりさま(2-5.父 逝く)
決まっている面会時間にしか会えないうえ、家に居ても落ち着かない。
パート先からの方がすぐに病院へ行けることもあって、出勤して毎日退勤後に面会時間の6時から8時に父を見舞った。
看護師からウェットティッシュを渡され『顔や手を拭いてあげてください』と言われた。
父の手は温かく、徐々にではあるが顔の腫れも引いていて、
(まだ、生きているんだ)と実感する日々だった。
母方の叔父夫婦も見舞いに来てくれた。
義理の叔母が『お義兄さん、早う良うなって』と話しかけ励ましてくれた。
私は積極的な措置を望んでいない自分に自問自答した。
同じように入院している患者の家族は皆一様に『良くなって』と言い一生懸命に願っている。
私は癌で入院していた時、『頑張って』と言う言葉が正直辛かった。
だから、父には敢えて言わなかった。
また、(怪我をする度に完治を願い。叶わないとわかっては落胆し、体の不自由さに苛立っていた父を見てきた私は、これ以上は父にとって酷でしかない)と思っていた。
本当にそうなのか?
今後の自分へ負担がかからない(父の死)可能性を選んだのではないと言えるか?
面会中、ある男性看護師に延命措置を希望しなかったことを話した。
『私の選択は少数派であるが、その判断は支持できる』と言ってくれたことが
唯一の慰めとなった。