{131}最終章 おひとりさま(3-2.大叔母)
大叔母は冠婚葬祭などの付き合いを大事にしていた。
震災時、銭湯帰りに何度か立ち寄らせてもらったことがあった。
母の性格上、甘やかしては図に乗ると判断してか絶対に泊まらせてはくれなかったが、『避難所の皆と分けなさい』言って箱買いしたインスタント食品をいくつも私達に持ち帰らせるという優しさと心配りができる人だった。
そんな大叔母のことを母は「叔母ちゃんはああいう人やから、絶対に泊めてくれへん」と文句を言っては私を失望させた。
また、三回り違いの同じ干支である大叔母と私を比べては『あんたはほんまに(気が強いところが)叔母ちゃんそっくりや』と事あるごとに言ったのだった。
そういった影響からか、私は(大叔母の生き様を将来の自分の目標(手本)にしたい)と思うようになったのかもしれない。
本当に大叔母は気丈な人だった。
いつだったか、大叔母が一時期【要介護5】であったと聞いたことがあった。
腰骨の骨折で寝たきり状態になったことが原因だったのだが、そこから不屈の精神でリハビリを続け要介護状態から【要支援2】までに回復したのであった。
「(大)叔母ちゃん凄い!凄すぎる!」と私は当時信じられない思いだった。
ガンを患って以降、義理の叔母と年に1回は大叔母を訪ねるようになっていた。
それは、私にとって母への愚痴を受け止め、わかってもらえることができる本当にありがたい時間になった。
『私はあんたらの話を聞くぐらいしか何もできへんけど、いつでも来てや』と言って、何度も同じ話を聞いてくれたのだった。
両親の離婚を知った当初は『なんで、そうなるまでほっといたのか』と責められたことがあった。
私は『できるだけのことをしたけどあかんかった』と言っただけで、詳しく話せていなかったことを知ってもらえたことも良かった。
『そんな、酷いことになってたんか!』
『悪いこと言うたなぁ』
と誤ってくれたのが逆に申し訳なく思ったのだった。