{110}第9章 自分の人生(3-3.気がかり)
父は私の渡す生活費の範囲内で日々の食事や日常品の買い物、病院代、交通費、小遣いを遣り繰りして(させて)いた。
洗濯は大好き。綺麗好きで食器洗いやシンク周りは問題なかった。
部屋とトイレの掃除は私が週1回休みの日にしていた。
ずっと銭湯を利用していたがつぎつぎと閉店となり、とうとう内風呂を使うことになった。
機械音痴の父にお湯張りを覚えさせた(?)はいいが、掃除は私の役割で私の負担が増えた。
何かの折に、義理の叔母が
『いっちゃん、いくら大丈夫と言ってもお父さん家と自分家の両方は大変やて。無理したらあかんよ。
お父さん、脚が不自由やから介護保険で生活支援してもらえるんとちゃうん。
身内やとついつい遠慮がなくなるけど、他人に入ってもらうことで上手くいくこともあるんやで』
叔母のアドバイスは何でも自分でしようとする私の意識を変えることになった。
多くの人に関わってもらうことで生活面が助かるだけでなく、父の異変に気付いてもらえる機会が増えると考えた。
介護保険制度の認定申請をした結果【要支援2】となり、週1回の家事援助、トイレと風呂場の手摺、すのこの設置が決まった。
(ヘルパーには良くしてもらい問題なく過ごせている)と思っていた私の期待も虚しく、父はヘルパーの訪問日に必ずと言っていいほど居留守をしだした。
父が言うには
『寝ていて気付かんかった』
『毎週〇曜日の〇時に来てもらうのわかってるんやから、起きて待っててくれなあかんやん』
『そんなん知らん。眠いんやからしょうがない!』
後日、訪問記録を読むと、父がなかなかインターフォンに出ないことを心配するとともに、その日の様子が書かれていて申し訳なかった。
こうして、掃除はしてもらえても滞在時間が足りず、中途半端なため私がすることが多かった。
実は、最初に担当してもらったヘルパーが辞めて、替わった次のヘルパーが気に入らなかったことがわかった。
ケアマネージャーと相談して事業所を変えてもらうことにしたのだった。