{106}第9章 自分の人生(2-4.一人暮らし)
ここまで言った私は、思い切って先生に持論をぶつけてみた。
「先生、私、間違っているかもしれませんがこう思うんです。
人はそれぞれ幸せと不幸せの器を持っていて、
その器の大きさや材質は様々なんです。
私の場合、幸せの器は小さくて僅かなことですぐに一杯になるんですが、
不幸せの器は大きくて素材も強いのでなかなか一杯にはならない上に壊れないんです。
それに比べて母の場合は、幸せの器が大きすぎて私と同量では全然足らないのです。そして逆に、不幸せの器は小さく繊細で、ちょっとのことですぐに一杯になってしまう・・・」
私の言葉はもう止まらなかった。
「何よりも母と違うのは、私は不幸せの器から溢れ出た分を幸せの器に移し替えることができたことだと思います。
そう考えることで、母のことを少しは理解できるような気持ちになれるんです」
これが、私の考えられる母に対する精一杯の結論付けだった。
「・・・・・。 間違っているかどうかは別として、
あなたのその考えは良いと思いますよ」
と言って、先生は私の考えを否定しないでくれた。
「私、改めて自分が今こうしていられるのは、
いろんな事があったからなのだと思い至りました。
そして、自分の未熟なところを受け入れて、これからを生きていこうと思います。
だって、それが私なのですから・・・」
「そうよ。高野さん、あなたはそのままで良いんですよ」
「先生。私、ダイアモンドの心を持ちたいんです」
(我ながら突拍子もない言葉を言ってしまった)と思った。
「・・・・・」
困惑する先生を見て、私は
「誰にも傷つけられない、磨くほどに輝くような心を・・・」
と、大真面目に言った。
(今、思い返してみて、穴があったら入りたいほど恥ずかしい)
「それは凄いですね」
梅木先生は私のどんな考えも受け止めてくれた。